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人を殺しちゃいけないよ。
意外に思われるかもしれないけれど、昔からディベートが嫌いでした。

8月20日のニッキでも書いたように、自分はインテリ文化系男子高校生の
生きた見本のような嫌な奴だったので、当然学校のディべート大会などの時は
だいたい先頭に立たされる訳です。で、だいたい勝ってしまう訳です(笑)。

でも自分は、社会問題については「正誤」や「勝敗」なんて絶対に
決められるものではなくて、常に「その段階でその立場の人間にとっての
ベターな選択」があるだけだと思っていたので、少なくとも校内で行われた
ディベート競技では一度も負けたことがないにもかかわらず、最終的に
「勝ち負け」が決められてしまうこの競技が大嫌いだったのです。


で、何年生のときだったか忘れたけど、一度「死刑制度の是非」という
定番のテーマでディベートをやったことがありました。

自分はこのとき死刑賛成派に回って、そしてやはり勝ったのですが
(ディベート競技では、自分のチームがどちらの立場に回るか、自分たちでは
選べません)、このとき勝ったのはたまたま相手の論理が貧弱だっただけで、
もしも相手チームに自分と同等の口達者な人間がいたら、私は絶対に負けて
いたと思っています。

どれだけシミュレーションしても、少なくとも自分の頭の中では、
ディベートで「死刑制度賛成派」は「反対派」に絶対に勝てないのです。


ちなみに自分は、個人的には死刑制度は必要だと思っています。
ただこれは、(おそらく多くの人がそうであるように)凶悪犯に対する憤りを
感情として抑えることができないからであって、純粋に論理だけで考えれば、
自分の中ではやはり死刑制度は「あってはならない」ものにしかなりません。

人類の歴史上、誤審や冤罪が存在しなかった社会というものは存在
しない訳で、その発生率を限りなくゼロに近づけることはできても、
完全にゼロにすることは、それこそ論理的に不可能な訳です。

もちろんこの「冤罪の危険性」というのは死刑制度反対派の常套句なので、
賛成派もこれに対して様々な反論を試みている訳ですが、自分はこれまでに
論理的に反論できている賛成派の意見に、出会ったことがありません。


検索してみたら、同テーマで行われた「2000年ディベート甲子園」の
ある中学校の立論集を見つけたので、紹介しておきます。

試しに、この「全国大会」における死刑制度賛成側の立論に反論してみると…

 1.罪なく殺される人の増加

 →証拠資料に科学的論理性が全くない。
  特に2つ目の引用は説得力が皆無。4つ目の引用も根拠が不明確。

  また世論調査については、データの取り方が不適切。国民のほとんどは
  「自分が犯罪加害者になる可能性よりは、被害者になる可能性の方が高い」
  と考えているのだから、「死刑が無くなれば凶悪犯罪は増えるだろう」
  という、加害者に厳しい回答が多数になるのは当たり前。でも、別に
  犯罪者に対してアンケート調査した訳じゃないんだから、これで死刑に
  よる凶悪犯罪の抑止効果を証明したことにはならない。

  もし本当に抑止効果をアンケートによって確かめたいのであれば、
  たとえば傷害犯に対して「死刑制度がなかったら殺していたか?」と
  いった質問を立てなければならない。


 2.再犯による被害者の増加

 →「再犯によって被害者がさらに増える可能性があるため、犯罪者を
  刑務所から出してはならない」という論理を通すのであれば、罪の重さに
  関係なく、犯罪者はすべて死刑か終身刑にしなければならない。
  また、わずか1割以下の再犯を起こす「可能性がある」人のために、
  残り9割以上の「再犯を起こさない」人の命を奪っていい根拠はない。

  また「もし万が一凶悪な犯罪が1件でも起こったならば,それによって
  奪われる被害者の人命はとりかえしがつきません」という論理は、
  「凶悪な犯罪」を「冤罪被害者に対する死刑執行」に変えればそのまま
  死刑反対派の論理になる。つまりどちらの立場にも使える論理であって、
  死刑賛成派独自の根拠にはなり得ない。

  (ちなみに自分の立論に対して、賛成派から同じ反論をされたならば、
  「死刑を存続しても個人による凶悪犯罪は絶対にゼロにはならない。
  しかし死刑を廃止すれば、少なくとも国家による殺人はゼロになる」

  反論するでしょうね。)

まあ、ここに挙げたのはディベートにおける立論の一例なので
(ちなみに実際のディベートではこうした形での立論に対する反論は
しないので、今回の想定問答は、あくまで想像上のものってことで…)、
実際の死刑制度賛成派の「切り札」は、やはり「被害者感情」になるかと
思います。

一方で、それに対する死刑制度反対派の「切り札」として「冤罪の可能性」が
ある訳ですが、前者が「感情」の問題であるのに対して、後者は「論理的に
起こり得る、国家による誤殺人の可能性」の問題。いま現在生きている人の
生命が懸かっている問題なんだから、感情よりも論理の方を優先して
もらいたいと思ってしまう自分は、やっぱり少数派なんだろうか…?



実はここで言ったことは長い前フリで、本題はまた別の話なのですが
(本当は光市の母子殺害事件の弁護士をめぐる騒動について書きたかった)、
予想以上に長くなってしまったので、続きはまた次回に。


(music: 罪人 /鈴木彩子)

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2007/10/09 | social | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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