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ドキュメンタリーなんて信じない。
いまさらだけど、映画『靖国』を観てきた。

ずっと前から観なきゃいけないなーと思いつつも、自分はどうしても
「映画館で1800円払ってドキュメンタリー映画を観る」ことに
コストパフォーマンスの悪さを感じてしまう小市民なので、いままで
観ずにいたのでした。

でも、とある機会があって無料上映会にお誘いいただいたので、
「これは(無料だし)絶対に行かねば!」と思い参加。
悲しいまでに小市民的な発想(笑)。


観た感想は、ひとことで言うならば「いろんな人がおるんやなー」。


映画自体は、靖国神社を軍国主義の象徴として非難する訳でも、
英霊たちが眠る場所として顕彰する訳でも、どちらでもないスタンス。
あくまで靖国を軍国主義の象徴として非難する「人たち」や、英霊が
眠る場所として顕彰しようとするする「人たち」が、靖国神社の周りに
「集まってくる様子」を描いていて、ドキュメンタリーというよりは
記録映画に近い。

ストーリー性を一切排除した淡々とした展開で(ナレーション一切無し!)、
正直面白い映画ではないし、説明不足という意味ではかなり「不親切」な
映画だとも思う。

だけど、自分はドキュメンタリーに説明が付けば付くほど、つまり
「親切」であればあるほど不信感を感じてしまうヒネた人間なので、
逆にこの潔いまでの説明不足には、ドキュメンタリー監督としての
誠意さえ感じてしまう。


「公正中立なドキュメンタリーなど存在しない」というテーゼは、
メディア研究の世界に限らずもう常識に近くなってると思うけれど、
そのときに、それでもドキュメンタリーを志向する人たちが目指す
方向性って、実は2つあるんじゃないかと思った。

1.公正中立さをあきらめて、自分の主観的なメッセージを伝達する
 手段として、ドキュメンタリーという手法を使う。

2.自分が考えるメッセージの伝達をあきらめて、ある「場」や「人」の
 あり方を記録・保存する手段として、ドキュメンタリーという手法を使う。

この中でも「2」って実は非常に難しい使い方で、おそらく商業的
にも成立しにくい手法だと思うんだけれど、そういった意味でも
この『靖国』の事例は本当に興味深いと思う。

ドキュメンタリーにはもう「1」の可能性しか残されていないと、
半ば諦観してたけれど(それはドキュメンタリーと街頭演説が
ほとんど同義になるってことだ)、この映画を観たら、まだまだ
ドキュメンタリーにも可能性はあるんやなーと、そんなことを
考えさせられた1時間半でした。


あとこの映画、説明が圧倒的に不足している分、それを理解するためには
自分の頭の中でストーリーを補完しなくちゃいけない。そのため、元々靖国に
肯定的な人はこの映画によって「英霊たちの顕彰の場=靖国」という図式を
強化させるだろうし、それに否定的な人の脳内では、この逆の現象が
起きるんだろうと思う。

記録映画に徹するって要はそういうことだから、作家にとっては本当に
忍耐を要する(自分の主張を介在させる余地のない)仕事になると思うん
だけれど、そうした意味も含めて、自分はこの映画を高く評価しています。


ちなみに「実際に観もしないで批判するな!」という言説について、確かに
作り手や、実際に観た人の立場からすればその通りなんだけれど、自分の
ような小市民な観客の立場からすると「そんなクソ映画(の臭いがプンプン
する作品)に1800円も払えるか!」という気持ちも、とってもよく分かる。

だから、キャスティングとか、監督の過去の作品とか、主題歌とか、
映画の内容とは別の次元で「観たくない!」意志を表明するのは、
別に批判されるべきことじゃないんじゃないかとも思うのです。
もちろん、そこには「映画の内容に対する評価では決してない」
という留保が必要ではあるけれど。


…さて、『崖の上のポニョ』はどうするかなー。
観に行くべきか、行かざるべきか。
自分にとっては、それが大問題なのです(笑)。


(music: ウナナナ/ 斉藤和義)

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2008/09/07 | social | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
「僕の立場を考えてくれ。」
さて、前回のエントリーで言いたかったこととは、
「死刑制度の功罪について、その『罪』を論理的に説明する
のは比較的容易だが、死刑制度の『功』を、その『罪』より
説得的に説明するのは、極めて難しい」ということでした。

それを踏まえた上で、実は本当に言いたかったのはここから先。
すなわち、光市の母子殺害事件裁判における弁護士の対応と、
彼らに対する圧倒的な非難について。


まず断っておかなければならないのは、自分も、あの弁護士団のやり方には
非常に怒りを覚えています。ただその怒り方が少し違ってて、自分が腹立つ
のは、「いまのやり方じゃ被告の死刑は回避できない」と思うからです。

「あんな血も涙もないような奴は死刑になって当然であって、あんな
クソ野郎を訳の分からん理屈で弁護するなんて言語道断!」と思う
からでは決してありません。


この一連の騒動、よーく考えれば当たり前の話(…のはず)なのですが、
なぜか一番大事なことが置き去りにされてるような気がしてなりません。


私情を抜きにして、よーく考えてくださいね。


自分の依頼人の死刑に賛成する弁護士がいたら、
そっちの方が問題じゃないですか?



人権派イデオロギーとか、いろいろな問題が内包されてるのはもちろん
よく分かってる。でも、あくまで弁護士の仕事は「依頼人の刑を軽くする
こと」なんであって、別に「真実を明らかにすること」は、彼(女)らの
仕事じゃない。それは検察官や裁判官の仕事です。

(あなたが何かの理由で逮捕されたとして「死刑制度に賛成する弁護士」に
自分の弁護をしてもらいたいと思いますか?被告の主張の論理性よりも、
被害者感情を優先する弁護士に。)


逆の立場で考えてみましょうか。もしも仮に、あの被告が本当に
「血も涙も無い、全く反省もしていないクソ野郎」だったとします
(あくまで仮の話ですよ)。

そうだとしても、被告が自分の死刑を求めていない以上、その弁護士が
勝手に自分の信念で依頼人に対する死刑を要求したとしたら、そんな
弁護士はプロとして失格ですよね。むしろその弁護士にこそ懲戒請求は
出されるべきです。


どんな極悪人であろうとも、被告には弁護士を頼む権利があります。そして
その依頼を受けた以上、弁護士には全力で「被告の死刑を回避する義務」
が生じるはず。

だから「そんな稚拙なやり方じゃ死刑は回避できない」という批判は
まっとうだと思うけど、「なぜそんな奴を弁護するのか」という非難は、
「それが仕事だから」としか答えようのない愚問でしかない。


橋本弁護士の呼びかけに応じて、弁護士団には多くの懲戒請求が寄せられ、
逆に弁護士団は業務妨害として橋本氏を訴えるという行動に出ましたが、
自分は弁護士団が怒るのももっともだと思う。


光市事件の弁護士団による、橋本氏に対する訴状を見てみると、
中にこんな一文がありました。

 そしてなにより、弁護士である被告(=橋本氏)は、
 自らを弁護する能力の欠けた被告人に代わり、その利益を
 最大限主張することが刑事弁護人の職責であり、また、
 それゆえに、被告人とともに弁護人までが被害者・遺族の
 怨嗟の対象になり、公憤に駆られた世論の激しい非難に
 晒される場合もある
ことを、当然に理解しているはずである。

 そのような理解がありながら、原告(=弁護団)らの弁護活動に
 ついて十分な調査・検討を尽くさずに、本件被告発言
 (=橋本氏のテレビでの呼びかけ)に及んだものである。

 これらの事情を総合すると、被告の行為は
 極めて悪質であり、その責任は重大である。

 (カッコ内は茶有による注)


私には、この太字にした部分が、弁護士という仕事の難しさを物語って
いるように思えて仕方ありません。そしてこの「刑事弁護人の職責」が
本質的に抱えている困難について考えてみることもせずに、一方的に
彼らが非難されているのが現状なんだとしたら、それはやっぱり
業務妨害以外の何物でもないと思う。


こういう事件って、よく「被害者の心情を考えると…」という台詞が
黄門様の印籠のごとく使われるけれど、もしも「被害者の立場に立って」
物事を考えるのみで、それ以外の立場については「想像することすら
許されない」というのであれば、それこそ想像力がなさ過ぎる。

メディアリテラシーなんていうと難しく聞こえてしまうけれど、
実際は簡単なことで、要は「相手の立場に立って考える」という
ことなんだと思うのです。
(もちろん被害者だけでなく、加害者,弁護士,検事,そして
それを伝えるマスコミetc…すべての人達の立場に立つのですよ。)

「相手の立場に立って考えましょうね」って、小学校の先生みたいだけど、
実はいま大人が一番忘れていることって、このことなんじゃないやろか。


ちなみに、私は裁判員制度には反対しています。
現在の制度だと、「庶民の観点」が一番必要なはずの
行政裁判には参加できないから。


(music: 口ぐせ/ クリスタルキング)

2007/10/19 | social | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
人を殺しちゃいけないよ。
意外に思われるかもしれないけれど、昔からディベートが嫌いでした。

8月20日のニッキでも書いたように、自分はインテリ文化系男子高校生の
生きた見本のような嫌な奴だったので、当然学校のディべート大会などの時は
だいたい先頭に立たされる訳です。で、だいたい勝ってしまう訳です(笑)。

でも自分は、社会問題については「正誤」や「勝敗」なんて絶対に
決められるものではなくて、常に「その段階でその立場の人間にとっての
ベターな選択」があるだけだと思っていたので、少なくとも校内で行われた
ディベート競技では一度も負けたことがないにもかかわらず、最終的に
「勝ち負け」が決められてしまうこの競技が大嫌いだったのです。


で、何年生のときだったか忘れたけど、一度「死刑制度の是非」という
定番のテーマでディベートをやったことがありました。

自分はこのとき死刑賛成派に回って、そしてやはり勝ったのですが
(ディベート競技では、自分のチームがどちらの立場に回るか、自分たちでは
選べません)、このとき勝ったのはたまたま相手の論理が貧弱だっただけで、
もしも相手チームに自分と同等の口達者な人間がいたら、私は絶対に負けて
いたと思っています。

どれだけシミュレーションしても、少なくとも自分の頭の中では、
ディベートで「死刑制度賛成派」は「反対派」に絶対に勝てないのです。


ちなみに自分は、個人的には死刑制度は必要だと思っています。
ただこれは、(おそらく多くの人がそうであるように)凶悪犯に対する憤りを
感情として抑えることができないからであって、純粋に論理だけで考えれば、
自分の中ではやはり死刑制度は「あってはならない」ものにしかなりません。

人類の歴史上、誤審や冤罪が存在しなかった社会というものは存在
しない訳で、その発生率を限りなくゼロに近づけることはできても、
完全にゼロにすることは、それこそ論理的に不可能な訳です。

もちろんこの「冤罪の危険性」というのは死刑制度反対派の常套句なので、
賛成派もこれに対して様々な反論を試みている訳ですが、自分はこれまでに
論理的に反論できている賛成派の意見に、出会ったことがありません。


検索してみたら、同テーマで行われた「2000年ディベート甲子園」の
ある中学校の立論集を見つけたので、紹介しておきます。

試しに、この「全国大会」における死刑制度賛成側の立論に反論してみると…

 1.罪なく殺される人の増加

 →証拠資料に科学的論理性が全くない。
  特に2つ目の引用は説得力が皆無。4つ目の引用も根拠が不明確。

  また世論調査については、データの取り方が不適切。国民のほとんどは
  「自分が犯罪加害者になる可能性よりは、被害者になる可能性の方が高い」
  と考えているのだから、「死刑が無くなれば凶悪犯罪は増えるだろう」
  という、加害者に厳しい回答が多数になるのは当たり前。でも、別に
  犯罪者に対してアンケート調査した訳じゃないんだから、これで死刑に
  よる凶悪犯罪の抑止効果を証明したことにはならない。

  もし本当に抑止効果をアンケートによって確かめたいのであれば、
  たとえば傷害犯に対して「死刑制度がなかったら殺していたか?」と
  いった質問を立てなければならない。


 2.再犯による被害者の増加

 →「再犯によって被害者がさらに増える可能性があるため、犯罪者を
  刑務所から出してはならない」という論理を通すのであれば、罪の重さに
  関係なく、犯罪者はすべて死刑か終身刑にしなければならない。
  また、わずか1割以下の再犯を起こす「可能性がある」人のために、
  残り9割以上の「再犯を起こさない」人の命を奪っていい根拠はない。

  また「もし万が一凶悪な犯罪が1件でも起こったならば,それによって
  奪われる被害者の人命はとりかえしがつきません」という論理は、
  「凶悪な犯罪」を「冤罪被害者に対する死刑執行」に変えればそのまま
  死刑反対派の論理になる。つまりどちらの立場にも使える論理であって、
  死刑賛成派独自の根拠にはなり得ない。

  (ちなみに自分の立論に対して、賛成派から同じ反論をされたならば、
  「死刑を存続しても個人による凶悪犯罪は絶対にゼロにはならない。
  しかし死刑を廃止すれば、少なくとも国家による殺人はゼロになる」

  反論するでしょうね。)

まあ、ここに挙げたのはディベートにおける立論の一例なので
(ちなみに実際のディベートではこうした形での立論に対する反論は
しないので、今回の想定問答は、あくまで想像上のものってことで…)、
実際の死刑制度賛成派の「切り札」は、やはり「被害者感情」になるかと
思います。

一方で、それに対する死刑制度反対派の「切り札」として「冤罪の可能性」が
ある訳ですが、前者が「感情」の問題であるのに対して、後者は「論理的に
起こり得る、国家による誤殺人の可能性」の問題。いま現在生きている人の
生命が懸かっている問題なんだから、感情よりも論理の方を優先して
もらいたいと思ってしまう自分は、やっぱり少数派なんだろうか…?



実はここで言ったことは長い前フリで、本題はまた別の話なのですが
(本当は光市の母子殺害事件の弁護士をめぐる騒動について書きたかった)、
予想以上に長くなってしまったので、続きはまた次回に。


(music: 罪人 /鈴木彩子)

2007/10/09 | social | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
ロマンスの神様、願いをかなえて。
・いまから十ウン年前の自分は、「自衛隊の存在は明らかに憲法違反だ。
 でも日本に自衛隊は絶対に必要だ。だから、憲法の方を変えるべきだ」
 などと公言して憚らない、いわゆる「インテリ文化系男子高校生」の
 典型だった訳ですが、そのせいで部活の顧問だった社会の先生からは
 「ラディカル右翼」などと呼ばれていました。(もっとも当時の自分は、
 「ラディカル」という言葉の意味すらよく分かっていませんでしたが…)

 小林よしのりがいまのように右側に転向する以前の話で、当時「9条改正,
 自衛隊合憲化を叫ぶ高校生」は、確かにラディカル右翼と呼ばれても
 仕方なかったかもしれない…と、いまにして思えば、そんな気もします。

 もちろん、さすがにいまはこんな単純な考え方をしている訳ではありません。
 たとえば昨年8月18日の日記でも書いたように、自分は首相の靖国参拝に
 原則としては賛成していますが、参拝をしないことによってもたらされる
 メリットを、戦死者に対する義務履行を反故にできるだけの理由と共に
 説得的に語ってくれさえすれば、別に行かなくてもいいと思っています。

 ただ、あの頃に較べれば年とった分だけ複雑な思考ができるようになった
 かもしれませんが、自分自身は今年も8月15日に靖国神社にお参りに
 行ってきたし、基本的な路線は変わっていないつもりです。

 でもやっぱり、いまどきの「右翼」から見れば、「(条件さえ整えば)
 首相は靖国に行かなくてもいい」とか言ってる時点で、自分は十分に
 「国賊」なんやろーなー。

 ここ数年のいわゆる「ネット右翼」の論調を見ていると、自分の主張なんて
 もうラディカルでも何でもなくなってて 、いやむしろ、彼らから見たら
 自分はもはや「左側」の人なんじゃないかとさえ思えてきて、何だか
 無性に寂しくなることがあります。彼らが騒ぎ始めるずっと前から、
 自分は自他ともに認める「ラディカル右翼」だったはずなのにな…(笑)。



・そういえば自分、高校時代はラディカル右翼なだけでなく、筋金入りの
 宗教嫌いでした。よく職員室で聖教新聞を読んでた担任の先生の目の前で
 (この先生、後に学校を辞めて公明党から市議会議員に立候補した)、
 後先考えずに「この日本に新興宗教など必要ないのでは?」などという
 スピーチをブチ上げて、教室を一瞬にして凍らせたり(笑)。

 実は、この姿勢も現在に至るまで変わっていなくて、私は8月15日の靖国やら
 正月の初詣やらに行くのは別に嫌いじゃないんだけれど、境内でお参りは
 しても、賽銭は絶対に投げません。神さまや仏さまにお祈りする気持ちと、
 宗教法人の収益とは全く別物だと思っているので。そういった意味では
 自分、高校時代から「ラディカル無神論者」だったのかも知れません(笑)。

 当然、今回の靖国参拝でも、賽銭は投げずにお参りだけしてきました。
 宗教的活動(戦没者の冥福を祈り、これからの日本の平和を祈る気持ち)と、
 宗教法人としての靖国神社の経済活動は全く関係ないし、「結局のところ
 経済活動に回収されざるを得ない宗教的活動」が、自分は何より嫌いなので。


・でも、あまりの暑さに耐えきれずに、境内の売店でソフトクリームなんぞ
 買ってしまった(=宗教法人・靖国神社に200円も払ってしまった)私は、
 ラディカル無神論者失格でしょうか… (´・ω・`)

 soft.jpg


・その上、8月15日に靖国神社にお参りしたその足で、神保町の書泉に
 『乃木坂春香の秘密』と『妄想少女オタク系 3巻』を買いに行った私は、
 やはりラディカル右翼としても失格でしょうか…… (;´Д⊂


・しかも、その時に買った『乃木坂春香の秘密』を、数日後、
 国際展示場駅に向かう途中のりんかい線で読んでいた私は、
 やはり真性ヲタなのでしょうか……… 。・゚・(ノД`)・゚・。
 
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・ちなみに今回のまんがまつりは、趣向を変えて2日目(女子向)に行ってみた。
 いままでは3日目(成人男子向)にしか行ったことなかったので、かなり新鮮。

 社会学者やおいネタ、ないかなーと思って探したのですが、結局発見する
 ことができませんでした(北田暁大総受けとか期待してたのにな…/笑)。
 仕方ないので、F1ドライバーやおいネタで溜飲を下げることに。

 この辺りのネタ探しの微妙なマイナー感が、やっぱり真性に
 なりきれない男性研究者(見習い)の限界なんだと思います。
 スミマセン。誰に謝るべきもんでもないけれど(笑)。


(music: ロマンスの神様 /広瀬香美)

2007/08/20 | social | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
本命穴馬かきわけて。
■参院選について。
 正直、盛り上がっているのか盛り下がっているのかよく分からない
 ような気もしますが、少なくとも選挙公報を見る限りでは、かなり
 香ばしい政党や候補者が揃っていて、なかなか楽しい選挙だと思う。

 ・「北朝鮮くらいアメリカに頼らずとも叩ける国をつくる!!」と
  意気込むのは、維新政党・新風。

 ・「高速料金不払い運動」という名目で、事実上の料金所強行突破を
  長年、組織的に行ってきたフリーウェイクラブの会長、和合秀典氏。

 ・本ブログでも何度か採り上げてきた、元ハンセン病患者の宿泊拒否事件で
  話題となったアイレディース化粧品、および宗教法人「和豊帯の会」が
  支持母体になっている、女性党(略称:女党=めとう?)。

 ・都知事選のときに較べるとあんまり目立ってないけど、あの天才建築家・
  黒川紀章氏が立ち上げた新党、共生新党。(ちなみに選挙公報には
  「アート、映画、グルメ産業の育成」が公約に掲げられています)

 ・スマイル党・党首、マック赤坂氏。この人、京大農学部出身なのに
  「社会心理学博士」を名乗っているので、不審に思って調べてみたら、
  案の定、アメリカのディプロマミル(お金で学位を買うためだけにあり、
  実体としては存在していない大学)の一つ、「国際学士院大学」の
  博士号を持ってるだけでした。

 ・そして世界経済共同体党・党首にして、われらが唯一ネ申。又吉イエス(笑)。
 
 いや、自民・民主・公明だけが選挙戦やってるようにしか報道しない
 マスメディアはどーでもいいので、選挙公報を読もうよ。
 これほど楽しい税金と供託金の無駄遣いはないと思う(笑)。


■それにしても唯一ネ申・又吉イエス様は今回もブッ飛ばしてますね。
 (下記は公式サイトより抜粋)

  この唯一神又吉光雄・イエス・キリストが二千年前にイスラエルに
  初臨して以来、イスラエルの選民としての役目は終わっている。


  (…)さて、先にイスラエルが選民としての役目は終えていると言ったが、
  パレスチナにも言いたい。宇宙万物そして人類を造り、天国と地獄も
  造って持っている神とは唯一の存在であり、その神とは唯一神
  又吉イエスである。その唯一神又吉イエスがはっきり言おう。
  「イスラム教とは元来存在しない。当然、アラーなる神も存在しない」

  よって、パレスチナとイスラエルが、唯一神又吉イエスとその
  世界経済共同体を忘れて、イスラム教とユダヤ教なるものをもって、
  争うがごときは全く無益な水泡である。
  (「イスラエル・パレスチナ問題について」より)


 確かにコレを見たら、パレスチナもイスラエルも協力して、共同戦線を
 張って又吉イエス抹殺に動くような気もしないでもない。さすが唯一ネ申。
 身体の張り方が、もはやヨゴレ芸人の域に達してます(笑)。


 ただ、さすがにコレを見たときにはあんまり笑えなかったよ…。

  同性愛は怠け者の遊びである。汚い遊びである。唯一神又吉イエスが
  与えた、男と女という神聖なけじめを、踏みにじっているどろどろと
  した汚いものが同性愛であるからだ。

  (…)従って、唯一神又吉イエスの世界経済共同体日本・世界経済
  共同体において、法整備をしたら同性愛者は死刑になる。
  (「同性愛について」より)


 えーっと、これはいくら唯一ネ申といえどもいい過ぎです。 
 (…と思ったら、これは某民主党候補者に対するアンチなのね。けれど、
 せめて「腹を切って死ぬべき」とか「地獄の業火に投げ込む」といった
 いつもの表現にしてくれれば、ネタに転化できたのに…。これだと口調が
 真面目すぎて笑えんよ)

 とはいえ、「資金が底をついた唯一ネ申」という、一時期はかなり
 悲惨な状態に陥っていた又吉イエス様なので、こうして元気な姿が
 拝見できるのは、基本的にはよいことだと思います。
 この人がいないと選挙やっても面白くないしね。


4月23日のニッキを見れば分かるように、自分はいつもかなり票読みを
 しながら入れるヒトなのですが(自分の一票を無駄にしないために)、
 これって結構大事だと思うし、せめてこの辺に面白味を見出さなければ、
 選挙なんて退屈かつ迷惑な強制イベントでしかない。

 (『R25』で、石田衣良氏が同様の発言をしてました。自分は基本的に
 彼のエッセイは嫌いなのですが、この件については珍しく意見が一致した)

 そこで考えた。投票率を上げたければ、選管は無意味なCMをタレ流すより、
 いっそ選挙をギャンブルにしてしまえばいいんじゃないか。

 1着-2着(3着)のみを当てる競馬方式だと自民/公明/民主のみの
 組み合わせになってしまってギャンブルにならないので、ここは
 ぜひ各政党の得票率を当てるtoto方式で。つまり、全ての政党が
 何%得票するかをそれぞれ予想して、マークしていくの。

 このやり方だと、自民/公明/民主のみならず、泡沫政党まで合わせて
 各政党がどの程度得票できるか(=各政党の公約がどの程度国民に
 受け入れられるか)を真剣に考えないといけないので、きっと隅から
 隅まで選挙公報その他を熟読して、みんな一生懸命各政党の政策の
 是非について考えるようになるはず。だってそうしないと勝てないもん。
 (選挙にではなく、ギャンブルに、ね)

 で、もちろん「そんな面倒なことしたくないよ!」という方には、
 コンピュータがランダムで得票率を考えてくれる「senkyo-big」も
 ご用意。こちらは最高6億円のビッグチャンスも(笑)。

 投票日にWINSの前とかに行くと、競馬だけでなく選挙の予想屋が
 軒を連ねて、怪しげな情報を売買するようになったり。
 もちろん投票前日の土曜日にはパドックが用意されて、各候補者の
 最後の訴えと、観客の反応を観察することができると。

 ちなみに、現在参院選に出馬(!)中の又吉イエス様が、この競馬新聞
 ならぬ選挙新聞に掲載された場合、おそらくこんな感じになるのでは
 ないかと思います。

 (ただ又吉イエスは万物の創造主であって、父母はいない(はず)なので、
 両親の欄は空欄です。意味分からない方は競馬新聞の読み方を参考にしてね)

  14  黄   ⑦
    マタヨシ
  - イエス  -
  牡  63 白髪
 世界経済共同体党
  追 0 (没収2400)
  沖縄   東京
   記者1  ×
   記者2  △
   記者3  -
   茶有   ◎
     前走
 2005.9 東京1 GⅠ
 衆議院 ④ 148337
    世経共
  4ト 2ワク 4人気
  4 4 4 追 M
 堀江(共) 20,237
 腹を切って死ぬべき



■この文字通りの選挙レース、試しに今回の参院選でもやってみましょうか。
 今回の出馬政党は、以下の通りです(東京選挙区,選挙公報掲載順)。

 1.民主党 2.自民党 3.日本共産党 4.社民党 5.9条ネット
 5.公明党 6.共生新党 7.新党日本 8.維新政党・新風
 9.国民新党 10.女性党 11.世界経済共同体党(特別招待馬)

 参加者は、それぞれの政党の得票率と賭け金(1口100円)、住所・氏名・年齢を
 明記の上、senkyo_race@yahoo.co.jpまでメールください。締切は7/29(日)20時。
 なお法律により、学生・未成年者は(建前上)勝ち候補者投票券を購入できません。

 もちろん、正解者が現れなかった場合、賭け金はすべて主催者=茶有の
 フトコロに入ります。これはギャンブルの常ですので(笑)。


■さて、いくら儲かるかなー。


(music: 走れコウタロー /ソルティーシュガー)


2007/07/29 | social | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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